【企画メモ】with the Sun * with East Asian
ソウルの中央を流れる漢江に捨てられた毒劇物によって漢江周辺に怪物が登場するという物語を描いた韓国の映画『グエムル(怪物)』は、もちろん想像の産物である。しかし、既に遠くの海にまで流れ出た高濃度放射能物質が招来するであろう「怪物のような東アジアの海」は決して想像にとどまらない。
字義通り「映画でなら起こり得そうな」事態が「現実」となって現れたが、多くの人々は依然として他の怪物たちが出現する可能性から目をそらしたがっているようだ。しかし東アジアの全ての原発を止めない限り、東アジアの海と土地と空にはまた新しい怪物たちが絶えることなく登場するだろう。この怪物たちを退治する費用もまた天文学的な数字を叩き出し、費用を計算するということ自体が事実上無意味である。にもかかわらず原発論者らは原発が世界で最も安価で安全でクリーンなエネルギーであると主張する。
原発が作り出した怪物には「国境」もない。したがって「国境なき」怪物と立ち向かわねばならない我々もまた「国境なき」人々、即ち「国民」を超えた「東アジア市民」になるべきである。今回開催する「東アジア市民共生映画祭2011」は、このように共に守るべき「東アジアの海」、共に生き抜くべき「東アジア市民」意識の切迫感を伝えることを目的とした。
これまでの3回に渡る「東アジア移住共生映画祭」の上映会が、東アジアのどの国、どの地域出身であれ「東アジア市民」としての権利を持つべきだという点に焦点を当ててきたとすれば、今回の映画祭ではその延長線上で「東アジア市民」としての「義務」に関するメッセージも共に伝えたい。
特に原発ではない天然太陽光エネルギーに向けての夢、大学を卒業しても就職できない東アジア「北側」の青年達の悩みと、移住しなければ生きることすら困難な東アジア「南側」の青年たちの悩みを、「東アジアの南北両極化(格差)」というプリズムを通して本映画祭で披露する。どの問題一つ取っても「東アジア市民」の課題でないものがない。“with”が「共生」を意味するならば、本映画祭に乗せた我々の夢は“with the Sun-with East Asian”であると要約できるだろう。
映画祭は夢の祭である。共に国境を越え東アジアの市民になる夢、原発が作り出した東アジアの怪物と立ち向かうために東アジアの村々に太陽光パネルを立てる夢、東アジアの南北の青年たちが手をつなぎ具体的に設計していく東アジア市民社会への夢を共に描いてみたい。「映画でなら見られそうな夢」もまた「現実」になるものである。